セガの今昔そして現在地

秋にしてセガを思う
「ゼビウスやりたいよぅ!」「ツインビーやりたいよぅ!」
そんなあなたに「サテライト7」!!
皆さんゲームしてますか?秋の夜長にビールにゲーム、時には「読書」という事で「CGWORLD 2025年9月号[セガの現在地]」を読み終えました。
個人的には最近のセガと言えば「龍が如く」と「ソニック」の映画ヒットの印象が強く、かつてのゲーム業界を揺るがした印象が薄まっていて、「一体今のセガはどうなっているんだ??」と思って居た所でこの特集!嬉しい限りです!
CGWORLD特集
海外のスタジオの買収、北海道でのスタジオ建設、海外スタジオのタイトル販売(記憶に新しい所だと「クレールオブスキュール・エクスペディション33」ですかね)「クレイジータクシー」「ジェットセットラジオ」のリブートの話や新着ソフトの制作舞台裏、おまけにこれでもかと「セガ・ステッカー」付きです!ステッカー代だとしてもオトク感満載!断然、紙雑誌版がオトクな気がします!
触発されて「個人的セガ史観」
同時にブレイク・J・ハリス著「セガvs任天堂(上下巻)」も読了、とは行かず下巻の途中まで読んでへばったり、「セガ・ハード戦記」も未了なのですが、佐藤秀樹の「元社長が語る! セガ家庭用ゲーム機 開発秘史」や一橋大学のアーカイブを漁った感想を綴りたいと思います。ここでクローズアップしたいのは、セガ・アーケードのシステムとコンシューマー機全てに関わったセガハードの歴史的証人「佐藤秀樹」と、ソニック・ザ・ヘッジホッグを挑発的かつ魅力的に仕上げ、海外市場を大席巻させ任天堂を脅かした男「トム・カリンスキー」についてです。
確かに存在したセガの熱狂
セガという名前を耳にしたとき、世代や地域によって思い浮かぶイメージは大きく異なります。ゲームセンターに並んだ大型筐体、家庭用ゲーム機「メガドライブ」や「セガサターン」、そして青いハリネズミ・ソニックの疾走する姿。ある人にとっては青春の象徴であり、また別の人にとっては任天堂やソニーに敗れた「過ぎ去った企業」の記憶かもしれません。
しかし、セガの歴史をたどってみると「負けた会社」という単純な物語では収まりません(もっか成功中だしね)。北米市場で任天堂に挑み、一時は王座を脅かしたトム・カリンスキー。そして、日本国内で家庭用ハードを最前線で開発し、未来を見据えすぎて苦闘した佐藤秀樹。この二人の証言を軸に見つめ直すと、セガは常に「時代を揺さぶる文化」と「未来を先取りした技術」を提示してきた企業であることが浮かび上がります。
トム・カリンスキー:文化を武器にした挑発者
1990年代初頭、北米市場における任天堂の牙城は絶対的でした。NES(ファミコン)が9割近いシェアを握り、「家庭用ビデオゲーム=任天堂」という構図が完全に出来上がっていたのです。そんな中でセガ・オブ・アメリカのCEOに就任したのが、トム・カリンスキーでした。
カリンスキーはもともとマテルに在籍し、「バービー人形」の再生や「He-Man」シリーズの成功を手掛けたマーケティングの鬼才でした。当時の社長「中山隼雄」に強く説得され「SOA(セガ・オブ・アメリカ)」に着任すると、ゲームを単なる「子どものおもちゃ」ではなく、「若者文化の最先端」として位置づける戦略を打ち出し始めます。
Nintendon’t:任天堂を挑発する広告戦略
象徴的なのが1990年に始まった「Genesis does what Nintendon’t(ジェネシスは任天堂にできないことをやる)」キャンペーンです。テレビCMや雑誌広告では、任天堂を名指しで挑発し、セガがいかに「速く」「派手で」「大人っぽい」かを強調しました。スーパーボウルのような大舞台でも放映されたCMには、ソニックの疾走感とロックミュージックが融合し、任天堂の“かわいいイメージ”とは対極の「クールなゲーム像」を印象づけました。
この戦略は、当時のティーンエイジャーに絶大な支持を集めます。任天堂の世界観が「小学生向け」だとすれば、セガは「中高生の反骨精神」を刺激しました。北米の街角では「Sega!」と叫ぶ広告コピーが落書きされるほど、ブランドイメージは浸透していったようです。
流通との駆け引きと「モータルコンバット騒動」
カリンスキーは広告だけでなく、流通戦略でも攻めました。ウォルマートやトイザらスといった大手小売業者に強気で交渉し、任天堂の寡占状態を崩していきます。その過程で発生したのが「モータルコンバット騒動」でした。
流血表現が過激だった『モータルコンバット』をめぐり、任天堂版は検閲により「血」を削除したのに対し、セガ版は裏コマンドで出血表現を解禁できる仕様を残しました。この差はティーン文化にとって決定的であり、「任天堂=子供向け」「セガ=大人向け」というイメージを固めました。同時に、米国議会でゲーム表現が問題視され、結果的にレーティング制度(ESRB)が設立されるきっかけにもなります。つまりセガは、ゲーム文化が「社会問題」として語られる場面においても中心にいたのです。
NBA、NFL、マイケル・ジャクソン:カルチャーを巻き込む
カリンスキーはまた、ゲームと他ジャンルの文化を融合させました。スポーツではNBA、NFLとのライセンス契約を推進し、リアルな選手・チームが登場するタイトルを拡充。音楽ではマイケル・ジャクソンを起用した『ムーンウォーカー』を展開し、セガのゲームがポップカルチャーの一部であることを強調しました。
これらの戦略の結果、1993年頃には北米市場でメガドライブ=Genesisがスーパーファミコンを一時的に凌駕するシェアを獲得します。わずか数年で任天堂を追い詰めた背景には、トム・カリンスキーの徹底した「文化戦略」があったのです。
佐藤秀樹の証言:未来を求め続けた開発現場
一方、日本のセガではまったく異なる戦いが繰り広げられていました。家庭用ゲーム機の開発現場に立ち会ったのが、当時セガに在籍し、現在は一橋大学イノベーション研究センターに証言を残す佐藤秀樹氏です。彼のオーラルヒストリーからは、セガが「技術で未来を切り拓こうとした企業」であることがよくわかります。佐藤氏はエレメカ黎明期からセガのハードに携わり支え続け、ファミコンと同時発売となった「SC-3000」「SG-1000」からドリームキャストに至るまで、コンシューマー機に至ってはほぼ全てのプロジェクトに関わっています。
メガドライブ:アーケードのDNAを持つ家庭用機
1988年に発売されたメガドライブは、当時のアーケード基板「SYSTEM16」をルーツに持ち、アーケード移植に強い性能を誇りました。『獣王記』や『ゴールデンアックス』といった移植タイトルは「ゲーセンの興奮を家に持ち帰る」体験を実現しました。佐藤氏は常に新機軸を打ち出していく試みがセガらしさだったと語ります。
セガサターン:二基CPUの苦闘
次世代機競争に挑んだセガサターンは、2Dと3Dがせめぎ合う時代に投入されました。ソニーがシンプルな3D特化設計を採用したのに対し、サターンは2基のCPUと複数のコプロセッサを搭載する複雑な構造を持ちました。
佐藤氏はその理由を「3Dはまだ未知数だった。だから2Dでも最強、3Dでも戦える設計にした」と証言しています。しかしこの判断は、開発現場に大きな負担を強いました。プログラマーはマルチCPUを扱うために高度な最適化を余儀なくされ、開発の難易度は跳ね上がりました。それでも『バーチャファイター』や『サクラ大戦』など独自の名作を生み出し、セガサターンは日本市場で一定の成功を収めます。
ドリームキャスト:オンラインへの飛躍
1998年に登場したドリームキャストは、インターネット接続を標準搭載した世界初の家庭用ゲーム機でした。開発環境の一つとしてWindows CEを採用し、NAOMI基板との親和性を確保することで、アーケードと家庭用の架け橋を再び試みました。
佐藤氏は「ドリームキャストは未来を先取りした実験だった」と述べています。『シェンムー』は世界初のオープンワールドを提示し、『ファンタシースターオンライン』は家庭用機で初めて本格的なオンラインRPGを実現しました。結果的にプレイステーション2の圧倒的な普及に押されましたが、技術面での先進性は揺るぎません。
セガの開発現場は「未来を企業」という評を裏付ける証言に満ちています。
広告・文化のセガ
セガの魅力は「広告・文化」と「技術」の両輪で支えられていました。日本では「セガサターンしろ!」の藤岡弘、起用CMが話題を呼び、米国では挑発的な比較広告が若者の心を掴みました。ゲーム雑誌「Beep! メガドライブ」やアーケード雑誌「ゲーメスト」でも、セガは常に尖った存在として扱われ、ユーザー文化の核となりました。
セガの現在地と未来
セガは家庭用ハードから撤退しましたが、ソフトメーカーとして『龍が如く』や『ペルソナ』など物語性の強い作品で存在感を発揮しています。ソニックはハリウッド映画で復活し、再び世界的キャラクターとなりました。
トム・カリンスキーが切り拓いた「文化のセガ」と、佐藤秀樹氏が証言する「技術のセガ」。この二つの顔を持つ企業は、現在も「他にはない挑戦」を続けています。セガの歴史を振り返ることは、ゲームが文化であり未来を映すメディアであることを再確認する作業なのです。























トム・カリンスキ―氏の戦略はまさしく戦略と呼べるマーケティングの鏡ですね
それに対しての日本での戦略は技術や主導というか、市場調査不足感のある感じですよね
そもそも、コンシュマーカースト的な感じがありましたからね
それでは伸びるものも伸びません
でも、我々は十分楽しませていただきました!
SOAはいい仕事しましたよね〜!
構図としてはモノ(ハード)がまずありきの日本と、売れと言われたから売ったというアメリカというのがあったかも知れませんね。
セガとしてはゲームセンター主導だったので、マーケは二の次でアーケードのフィードバックしか無かったのかも。
僕個人の印象としてはソニーの勢いに対抗出来なかったのはマーケティング力だったと思います。まぁ資本力は圧倒的差がありましたが、それを考えると改めてカリンスキーの手腕は凄かったと思いますね!